わたしの中のフェミニストは、歪んだ自国愛に勝てるのか

最近、自分の中のフェミニストと、ナショナリストな感情が戦いあってて、困る。

伊藤詩織さんのBBCの放送が話題になっていますよね。わたしは上智大学のイベントで伊藤さんの講演も直に聴いてるし、100万%伊藤さんが真実を語ってて、山口氏(っていうか、容疑者って呼びたいくらい)が強姦犯だと思っているんですが、それでも、Twitterフェミニスト垢から伊藤さんのBBCの話が流れてくる度に、見たくないものを見せられているような、感情になっていました。(普段は、フェミ垢にいいねしまくっている)

 

何でなんだろう。

いや、答えは分かっているんですが。

海外に日本が遅れた国だ、って伝わるのが耐えられないんだと思う。自分の中のナショナリストな部分が

 

でも、それはかなり歪んでるのも自覚しています。

 

ナショナリストって良い意味で使うこと(少なくともわたしは)ないんですが、左翼でフェミだけど、どこかで「海外に悪く思われたくない」、「勝手に外野にとやかく言われたくない」って思いがでてきちゃうんだよなあ。

 

「外野」って言葉も微妙ですよね。わたしは日本を自分のものだって思ってるんだな、って改めて感じる。

 

これは初めてではないです。フェミニストの自分が、ナショナリストの自分に負けちゃいそうに、ていうかほぼ敗北したのは。

 

ちょうど先月、Twitterで留学生の女の子が京都で日本の若い男性たちに夜道でつきまとわれ続けている動画が流れてきました。

その子は、多分英語圏からの留学生なのか、英語で「日本は安全ってみんな言うけど、この日本人の男性たちはずっとわたしにつきまとい続けて、わたしの胸を触って良いか聞き続けている」「周りの人たちは、誰も助けてくれないし、無視したまま」と投稿していました。

これが、もし日本語で投稿されていたら、わたしはもしかしていいねを押していたのかも知れない。

海外に、日本の恥が出ているように感じて、嫌だと思ってしまった。

そして、それを発信する彼女にも、少し嫌な思いを抱いてしまった。

 

ただ、1つ書いておきたいのは、この日本のことを変に思われたくないっていうナショナリスト的な感情は、オリエンタリズムにも関係あると思うってこと。

さんざん、日本は変な国、変な人たちだっていう西洋中心的な見方でみられてきたから、海外からの目に対して、異常な警戒心がわたしにはあるんだと思う。

わたしだけじゃないかもしれないけど。

 

まあでも、伊藤さんも、京都の彼女も、まったくオリエンタリスト的な見方を繰り返しているわけじゃないし、彼女たちに対して嫌な思いをわたしが抱くのはお門違いなんです。そうわかっていても、なかなか、フェミニストの自分が勝ってくれない。

 

オリエンタリズムへの恐怖心・警戒心と、日本での性被害を海外に訴える彼女たちを分けて考えなければ。じゃないと、わたしの中のフェミニストが負けてしまう。

 

そんなわけで、今日で決別したいな。せっかく書いたわけだし、これを。ばいばいナショナリスト!Welcome backふぇみ!(最後の最後で、調子が狂うの。しょうがないんです。)

 

"東大生"じゃなくなることの恐怖。

先日卒論を無事提出してきました。

あとは学科の審査会を経て、単位も何か間違いがなければ、今年3月に東大を卒業することになります。

が、最近、卒業すること、東大生じゃなくなったあとの自分に対して、不安が出てきてる。

同じく卒業を控えた4年生たちと話していると、内定先の会社での話とか、割とみんな不安ながらもわくわくしているのかな?と感じる。具体的な話がでてきていいなあ〜と思う。

 

不安の原因はまず、わたしが就職が決まっていないことも大きく関わってる。エストニアでの就職を目指していた結果、日本であんまり就職活動をせず、かといってエストニアの方での就活も本腰を入れられず、就職先が決まっていない。

 

が、わたしが今持っている不安は、単純に「ニートになるかもしれない」という不安という訳でもないような気がします。

 

“東大生”っていう、世間的にすごいとされている肩書きを失う不安、そういう肩書きをなくしたあとの自分がそんなに優秀とかすごいって思われないんじゃないかという不安もあるなあと思います。

 

東大生っていう肩書きなしじゃ、自分はあんまり価値ないんじゃないかっていう不安。

 

「どこの大学?」

「東大です」

「すごいね〜〜!」

 

っていう会話の前と後とじゃ、話してる人の自分への見方というか期待が違っている気がする。良いときも悪いときもあるけど。

 

人にどう思われるかっていう話だけじゃなくて、自分の自分への見方も変わる気がする。

結局、東大生であることで、他人から優秀"風"に思われる(可能性が高い)ことが、自分の欠落している自信を満たしていたのかなとも思ったりする。

逆に、東大生って肩書なしじゃ、他人からみそっかすに思われるんじゃないかとおもって怖いんだろうなあ。

 

普通のままで自信がないことと、他人からすごいって思われたい・優秀だって思われたい気持ちが問題なんだろうなと最近は思ってる。

 

でも、自信つけたとしても、「え、この人なんで才能もスキルも無いのに、こんなに自信あんの?」みたいに思われるのもやだな〜と思ったりする。自意識過剰な若者だから(ふふふ)

 

最近とみに、自信のなさについて考えてる。人に自分のやりたい事とかアイディアを伝える時に、どんなにそのアイディアに自信があっても、なんか自信あります!って感じで伝えられない事に気づいて悩んでる。

 

頭悪い、とか大したアイディアじゃ無い、って思われるのが怖いのかもしれない。

そこんところなんとかしないとな〜と思ってます。自信の持ち方知ってる人いたら教えて。

エストニアの就職とかでも結局自己アピールは必要だし、なんとかしないとなあ。

超原始的に、鏡とかで練習すればいいっていう案もあるよね。笑っちゃいそうだけど。

 

 

*追記

この記事、書いては編集して、書いては編集してを繰り返してるけど、今日また犬の散歩中にまた違う考えが湧いて来て、編集してる。(シバって言う名前の柴犬。)

 

最近抱いている不安感は、エストニアでの就職活動について何も自分ができてないこともやっぱり大きく関係していると思う。東大生じゃなくなること、だけじゃなくて。

 

今日本でインターンしていて、“ある程度経験が積もったら”エストニアの企業にCV(履歴書みたいなやつ)を出そうと思っているんだけど、その“ある程度経験が積もったら”が一体いつになるのかがわからない。

 

「いや今出せよ」っていうつっこみが聞こえて来るけど、今の状態で応募しても、経験のなさから受からないと思う。ていうか実際に落ちたし。

じゃあ同じ会社に何度も出せるかっていうと、出せることは出せるけど、同じ人から何度も違うCVが来ても、まともに扱ってもらえないと思う。前にCV出して落ちた所も、「CVは取っておくね」って言われたし(一度応募しちゃうと、前のCVが残る事がある)。

 

本当に行きたい企業にはむやみやたらにCVを出したくない気持ちがあるから、今動けない。じゃあ一体いつになったら出せるの?出せるだけの経験ができるの?って。それがわからない。

 

そんなこんなで、インターンをしている間は仕事に集中して落ち着いていられるけど、週末になるとこういう不安感で何か毎週末落ち込んでしまう。ていうと大げさかも知れないけど、何して良いのかわかんなくなる。(で、こうやってブログを更新したりしてる。)

ひょんなことから、ソ連から独立数年後のエストニア政府と働いていた人に会った。旧ソ連弱貧国→世界no.1デジタル国家への道のり。

今日、ひょんなことから、ソ連から独立して数年後のエストニア政府と一緒に働いていた女性と話した。

 

効果音を付けるなら、ひょん!ていう感じで。昔何をしていたのか、(ほんとにただ会話をつなげるために...)聞いたら、「1990年代半ばからエストニア政府と働いていた」と。

 

突然歴史の授業を挟むと、エストニア旧ソ連の国で、1991年にソ連崩壊と共に、独立を果たしたんですよ奥さん。

 

エストニアと言えば、人口130万人(日本で言えば福岡市くらい)の小国にもかかわらず、(むしろだからこそ?)

・外国人がエストニアのシステムを使って海外にいながら会社を設立できるe-Residency(電子居住)があったり、(アベさんも持ってるらしい)

・2007年に世界で初めて国政選挙でのオンライン投票を始めたり、

・政府が仮想通貨を発行しようと準備していたり、

まあとにかくテクノロジーが怖いくらい進んでる国として名を馳せ始めてる気がします。

 

でも、たった26年前まではソ連だったんですよ。エストニアに行った時にジモティが言ってたけど、西洋のテレビや映画を見るためにフィンランドのテレビ通信を傍受してたとか、そういうレベルだったらしい。※ジモティ・・・「地元民」。

 

それをぐいーーーーと急に変えたのは、独立直後のエストニア政府だったと言われています。

1992年に総理大臣になったMart Laar。彼は当時32歳。 3   2   しゃい。。。。

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(全然32歳に見えない...)

 

フランスのマクロン大統領とか、カナダのトルドー首相とか若い若い言われてるけど、マクロン39歳、トルドーなんか45歳だからね。(ウチらのアベさん、63歳☆)

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(ベイビー:「意外とおっさんや〜ん!」)

 

若いのは、Laarだけじゃなくて、彼の内閣の平均年齢はなんと35歳!(The Economistより)どこのスタートアップ企業だよって感じ。

でもある意味、スタートアップ企業みたいなものかもしれない。ソ連から独立して、政府も国民も再スタートしたわけだしね。

 

で、今日会った女性は、計算してみると、多分彼の二期目の内閣と一緒に働いていたみたい。(Laar一期目:1992-1994、二期目:1999-2002)

 

彼女によると、Laarはかなりテクノロジー化に意欲的だったという。(でも彼のバックグラウンド調べたら、歴史学専攻で歴史の先生をしてたみたいだけど。文理両道?)

 

彼女に話を聞いてみると、

 

エストニアのひと:『当時はインターネットがどんどん盛んになってきていて、わたしたちはこれが一体どんな風になるか分からなかったけど、とにかくデジタル化を進めていこうとしてた。まさか今こんなに大きいことになるとは全く思っていなかったけどね。』

 

わたし:「でも、反対とかなかったんですか?そんな急激に進められるものですか?」と聞いたら、

 

エストニアのひと:『あまりなかった。だって、デジタル化を進めていくことは、行政の透明性(transparency)を高めていくから、国民にとってもいいことだったと思う』

 

いやその考えはなかった。

私が、あまあまなワカモンだからかもしれないけど、透明性の視点から行政のデジタル化を考えたことってなかった。

 

役所に行かずに住民登録できるのって便利じゃん、オンライン投票も便利じゃん、

ていうかデジタル国家とかなんかかっこいいね

 

くらいにしか思ってなかった。

 

ソ連時代に行政で腐敗がはびこっていた旧ソ連国のエストニアにとっては、デジタル化っていうのはただ「便利だから」「世界の先行く感じでかっこいいから」じゃなくて、もっと切実な役目「行政を再び腐敗させないこと」があるんだなと思った。

 

日本の政府団もなんどもエストニアに行って、行政のデジタル化を日本でもまねして取り入れようとしているみたいだけど、なかなかうまくいかない理由が分かる気がする。

 

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(誰も幸せになってない(と私は思ってる)マイナンバー制度)

 

日本では、行政をデジタル化することと行政の透明化ってそんなにセットになって語られることじゃないような気がする。

便利だから、っていう文脈がやっぱり多いような。

 

エストニアにとっては、行政がなにしてるのか不透明で腐敗だらけっていうソ連時代の過去が、行政の透明化・デジタル化を身近かつ重要なことにしてるんだろうな。

 

たった26年前に独立したわけだし、ソ連時代もそんな遠い過去じゃないんだよな〜と改めて感じる。

 

エストニアでロシア語話せる人もすごい多いもんね。(ただ、ロシア語とエストニア語はかなり言語として違うので、ソ連に組み込まれた国の中でもエストニアはロシア語を話せるようになるまで苦労したってエストニア行ったとき聞いた。ジモティから。)

 

いや頭では分かってるつもりでも、なんか直接話を聞くと、ソ連がそんなに近いものなんだとびっくりするわ。

 

エストニアしゅきしゅき言ってるけど、私は変わったあとのエストニアしか知らないわけで、ソ連時代を知っているエストニアの人からしたら、やばい変わりようなんだろうなと思った。ただテクノロジー進んでてかっこい〜〜みたいなんじゃなくて。

 

*****

ちょっとそんなに言うならエストニアの政府の透明性すごい高いんだろうなと思って、Transparecy InternationalのCorruption Perceptions Index 2016ていう国家の透明性・腐敗してない度を測るやつ見て見たら、

エストニア、22位。

 

(え、微妙じゃね?)

 

 

日本、20位。

 

まさかの日本の方が上なんですけど。うそ〜〜〜っていう。

 

でも、ロシアが131位なところを見ると、ソ連の腐敗にはエストニアのテクノロジー化っていうのは効果的だったのかしら。ロシアをおとしめたいわけじゃないけども。

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 (犬好きな誰かさんのせい....?)

 

なんだか相変わらず綺麗にまとまらないブログです。

 

*****

でも、エストニアの急進的に見えるデジタル化には、行政の透明化っていう切実な役割があって、ソ連時代の腐敗の記憶がある国民の支持を得ながら進んで来たということがわたし的にはすごく印象に残りました。

 

印象に残ったっていうより、納得したっていうのが正しいかもしれない。なんでエストニアはこんなに急進的にデジタル化を進められるんだろう?と疑問に思っていたので。

しかも、「かっこいいと思ってやってる感」が全然ないのもすごい長年の疑問だったから。

シリコンバレーとかかっこいいじゃないですか。

でも、エストニアでデジタル化進めてたり最先端のことやってる人ってなんか「かっこいいことしてる感」出す人が全然いない気がずっとしてて、それがすごい不思議だなあと思ってたのです。

 

歴史的な必要性(もしくは歴史的に必要と感じることと言うべきかも)からデジタル化をやってると考えると、つじつまがあう。

ソ連時代の腐敗だけがエストニアのデジタル化の理由ではないかもしれないけど、やはり大きな要因であることは間違いなさそうだ...と思ってます!

 

*****

にしても、国家の透明性ランキング、もうちょっとがんばりたいところだね、エストニアさんよ。。。(2位上なだけで日本が言うなて感じですかね。)

「0570-783-556」 死にたいっていうより、生きてたくないって気分むっちゃわかる。

「1-800-273-8255」っていう謎なタイトルの曲が流行っているって、Twitterで知った。

www.youtube.com

どうやら、タイトルの1-800-273-8255っていうのは、アメリカの自殺予防相談の電話番号らしくて、このLogicというラッパーさんの曲のおかげで、この電話に相談する人が急激に増えたんだって。

playatuner.comラップで自殺防止を呼びかけるっていうのももちろんめっちゃすごいし、

ストーリー仕立てになってるミュージックビデオも曲に合ってていいんだけど、

 

わたしにとっては、

・タイトルを数字にしたこと

・「I don't wanna be alive」(もう生きてなくない)ていう歌詞

がずこーーんと印象に残った。

 

数字がタイトルってあんまりないし、あっても1つの数字とか短いのが普通だと思う。

(ブリトニースピアーズの「3」しか思いつかない...。3人でした方が楽しいよ♪っていう、直球すぎてもはやエロくない曲。参照:Britney Spears - 3 - YouTube

 

この電話番号全部をまるっとタイトルにするっていうアイディアがすごい斬新でいい。

今広告代理店の人や、放送作家が書いたアイディアの本を何冊かぱらぱら読んでるんですが、その人たちが知ったら褒めそうな、めちゃくちゃ効果的な曲名の付け方だと思う。

 

これはどういう数字なんだろう?って調べたくなるし、調べて自殺防止相談室の番号だってわかったら、曲に物語性?というか、ストーリーが加わるし。

 

あと、これがもし「生きろ」とか「死なないで」っていう単純な曲名だったら?と考えてみると、それだと陳腐だし何より本当に自殺したいかもって思ってる人にここまで響かない気がする。

電話番号を曲名にすることで、死にたいなあって思ってる人に相談室に電話するっていう、具体的な解決策を提示してるところがすごいいい。

 

あと、「もう生きてたくない」っていう歌詞が私にとって、すんごいしっくりきた。

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(字幕をつけるのおすすめ。何言ってるんだかわかった方がこの曲に関しては良いような気がする。YouTubeがつけてくる、♪が余計だけど。『もう生きてくないんだ〜♪るんるん♪』って感じになっちゃうじゃん。でもこの音符記号も、「台詞ではなくて、歌詞です」ってことを表すために必要なんだろうね。)

 

まあこのあとに、"I just wanna die"って続くんだけど、個人的には"I don't wanna be alive"の方にめっちゃ共感した。(むしろI just wanna die単体ではあんまり共感できない。)

 

わたしもたまに、あ〜死にた〜いって思うことあるけど、本当にじゃあ死ぬために必要な行為をやりたいかっていうと全然違くて、

死にたいって思うときはむしろ、毎日生きてるだけですごいたくさん嫌なことがあるし、また明日起きてこの生きる行為を繰り返さないといけないかと思うと、この生きているっていう状態をやめちゃいたい〜って感じで。

 

英語の動詞と形容詞の違いを語れるほど詳しくないし間違ったこと言ってるかもだけど、

I don't wanna liveじゃなくて、I don't wanna be aliveだからこそさらにしっくりくるのかなとも思う。

そもそも生きてたくないって思う時って、動詞で「生きる」って言えるほど積極的に「生きる」ってことをしてなくて、なんもやってないけどただただ状態として「生きている」のが続いている感じというか。

 

わたしだけじゃなくて、「死にたい」って言うときに、多くの人が本当は死にたいっていうよりも生きてたくないって思ってるんじゃないのかなあという気がする。というか、これってもしかして色んな人たちによって言い尽くされてることですかね。ああなんかそんな気がしてきた。

 

何番煎じかわからないけど、この歌詞を聴いたときに、ああそれだよそれ〜って思った。死にたいっていうより、生きてたくないよね〜これ毎日続くのやだよね〜って思った。

 

いやなんでそんなに生きるのつらいんだよって思う人もいるかもしれないけど、それはもう個々人の感じ方の違いだと思う。

つい最近かなりしょうもないことでちょうど「あ〜もうこんな人生続くのやだ〜」って私は思ってたんだけど、多分同じ事が他の人に起こっても、感じ方は全然違うと思うし。

あまりにもしょうもないから、ちょっと書かないけど。(最初書いてたけど、あまりにもおバカな話だから、読み返しみてこれ人に知られるの恥ずかしいでしょって思って消した。)

 

 

でも、きっとこれからも、生きてたくねーって思うこと、この性格だからたくさんあるだろうなと思う。この未来予想、全然心弾まなくてうける。

 

何の話だかだんだんわからなくなってきたけど、電話番号をタイトルにするアイディアがいい!ってことと、生きてたくないっていう歌詞のしっくりさについて書きたかった。

 

勘の良いみなさん(みなさんっていうほど読んでる人いませんよ)はもうわかってるかもしれないけど、このブログのタイトルもLogicさんのアイディアをぱくってみた。

 

午前10時から午後10時までしか受け付けてないっていうのがちょっとひっかかるけど、(死にたいって思い詰める時間って午前2時〜4時くらいなんじゃないのかね)

誰かに言うだけでも気持ちが解消されることもある気がする。Ahそんな気がする〜。

なんで寒い時期に寒い国に行くのか

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(写真:2月のエストニア・タリン)

 

なんで寒い時期に寒い国に行くのか。

→A.安いから。

→A. 計画性がなくて、いい時期の飛行機のチケットを事前に買っておくということができないから。

 

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My Skinny Sister (2015)

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My Skinny Sisterという映画を見た。拒食症になっちゃった姉を持つ妹の話。

スェーデンの映画。でも、トロント国際映画祭でも上映されたり、評価は高いみたい。

感想は、とにかくできた妹だなあ、てこと。

お姉ちゃんが美人で痩せてて、自分が太ってて別に特段かわいくなかったらひねくれちゃいそうなもんだけど、この妹Stellaは違うもんね。

お姉ちゃんが食べないこと、死んじゃうかもしれないことをすごく心配してて、できた妹だ。

兄弟・姉妹いるって大変だよな、とも思った。

自分はStellaみたいになれないだろうな、と。絶対比べて落ち込むでしょ。

ハッピーエンドでもバッドエンドでも、明確なエンディングがなかったけど、この映画妹ができたやつだから成り立つよな。とにかくそこに終始。