「0570-783-556」 死にたいっていうより、生きてたくないって気分むっちゃわかる。

「1-800-273-8255」っていう謎なタイトルの曲が流行っているって、Twitterで知った。

www.youtube.com

どうやら、タイトルの1-800-273-8255っていうのは、アメリカの自殺予防相談の電話番号らしくて、このLogicというラッパーさんの曲のおかげで、この電話に相談する人が急激に増えたんだって。

playatuner.comラップで自殺防止を呼びかけるっていうのももちろんめっちゃすごいし、

ストーリー仕立てになってるミュージックビデオも曲に合ってていいんだけど、

 

わたしにとっては、

・タイトルを数字にしたこと

・「I don't wanna be alive」(もう生きてなくない)ていう歌詞

がずこーーんと印象に残った。

 

数字がタイトルってあんまりないし、あっても1つの数字とか短いのが普通だと思う。

(ブリトニースピアーズの「3」しか思いつかない...。3人でした方が楽しいよ♪っていう、直球すぎてもはやエロくない曲。参照:Britney Spears - 3 - YouTube

 

この電話番号全部をまるっとタイトルにするっていうアイディアがすごい斬新でいい。

今広告代理店の人や、放送作家が書いたアイディアの本を何冊かぱらぱら読んでるんですが、その人たちが知ったら褒めそうな、めちゃくちゃ効果的な曲名の付け方だと思う。

 

これはどういう数字なんだろう?って調べたくなるし、調べて自殺防止相談室の番号だってわかったら、曲に物語性?というか、ストーリーが加わるし。

 

あと、これがもし「生きろ」とか「死なないで」っていう単純な曲名だったら?と考えてみると、それだと陳腐だし何より本当に自殺したいかもって思ってる人にここまで響かない気がする。

電話番号を曲名にすることで、死にたいなあって思ってる人に相談室に電話するっていう、具体的な解決策を提示してるところがすごいいい。

 

あと、「もう生きてたくない」っていう歌詞が私にとって、すんごいしっくりきた。

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(字幕をつけるのおすすめ。何言ってるんだかわかった方がこの曲に関しては良いような気がする。YouTubeがつけてくる、♪が余計だけど。『もう生きてくないんだ〜♪るんるん♪』って感じになっちゃうじゃん。でもこの音符記号も、「台詞ではなくて、歌詞です」ってことを表すために必要なんだろうね。)

 

まあこのあとに、"I just wanna die"って続くんだけど、個人的には"I don't wanna be alive"の方にめっちゃ共感した。(むしろI just wanna die単体ではあんまり共感できない。)

 

わたしもたまに、あ〜死にた〜いって思うことあるけど、本当にじゃあ死ぬために必要な行為をやりたいかっていうと全然違くて、

死にたいって思うときはむしろ、毎日生きてるだけですごいたくさん嫌なことがあるし、また明日起きてこの生きる行為を繰り返さないといけないかと思うと、この生きているっていう状態をやめちゃいたい〜って感じで。

 

英語の動詞と形容詞の違いを語れるほど詳しくないし間違ったこと言ってるかもだけど、

I don't wanna liveじゃなくて、I don't wanna be aliveだからこそさらにしっくりくるのかなとも思う。

そもそも生きてたくないって思う時って、動詞で「生きる」って言えるほど積極的に「生きる」ってことをしてなくて、なんもやってないけどただただ状態として「生きている」のが続いている感じというか。

 

わたしだけじゃなくて、「死にたい」って言うときに、多くの人が本当は死にたいっていうよりも生きてたくないって思ってるんじゃないのかなあという気がする。というか、これってもしかして色んな人たちによって言い尽くされてることですかね。ああなんかそんな気がしてきた。

 

何番煎じかわからないけど、この歌詞を聴いたときに、ああそれだよそれ〜って思った。死にたいっていうより、生きてたくないよね〜これ毎日続くのやだよね〜って思った。

 

いやなんでそんなに生きるのつらいんだよって思う人もいるかもしれないけど、それはもう個々人の感じ方の違いだと思う。

つい最近かなりしょうもないことでちょうど「あ〜もうこんな人生続くのやだ〜」って私は思ってたんだけど、多分同じ事が他の人に起こっても、感じ方は全然違うと思うし。

あまりにもしょうもないから、ちょっと書かないけど。(最初書いてたけど、あまりにもおバカな話だから、読み返しみてこれ人に知られるの恥ずかしいでしょって思って消した。)

 

 

でも、きっとこれからも、生きてたくねーって思うこと、この性格だからたくさんあるだろうなと思う。この未来予想、全然心弾まなくてうける。

 

何の話だかだんだんわからなくなってきたけど、電話番号をタイトルにするアイディアがいい!ってことと、生きてたくないっていう歌詞のしっくりさについて書きたかった。

 

勘の良いみなさん(みなさんっていうほど読んでる人いませんよ)はもうわかってるかもしれないけど、このブログのタイトルもLogicさんのアイディアをぱくってみた。

 

午前10時から午後10時までしか受け付けてないっていうのがちょっとひっかかるけど、(死にたいって思い詰める時間って午前2時〜4時くらいなんじゃないのかね)

誰かに言うだけでも気持ちが解消されることもある気がする。Ahそんな気がする〜。

なんで寒い時期に寒い国に行くのか

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(写真:2月のエストニア・タリン)

 

なんで寒い時期に寒い国に行くのか。

→A.安いから。

→A. 計画性がなくて、いい時期の飛行機のチケットを事前に買っておくということができないから。

 

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My Skinny Sister (2015)

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My Skinny Sisterという映画を見た。拒食症になっちゃった姉を持つ妹の話。

スェーデンの映画。でも、トロント国際映画祭でも上映されたり、評価は高いみたい。

感想は、とにかくできた妹だなあ、てこと。

お姉ちゃんが美人で痩せてて、自分が太ってて別に特段かわいくなかったらひねくれちゃいそうなもんだけど、この妹Stellaは違うもんね。

お姉ちゃんが食べないこと、死んじゃうかもしれないことをすごく心配してて、できた妹だ。

兄弟・姉妹いるって大変だよな、とも思った。

自分はStellaみたいになれないだろうな、と。絶対比べて落ち込むでしょ。

ハッピーエンドでもバッドエンドでも、明確なエンディングがなかったけど、この映画妹ができたやつだから成り立つよな。とにかくそこに終始。

わがままなひと。才能のあるひと。

最近、才能があるひとはわがままだなあと思うことが多い。

そして自分はそのわがままさと才能に憧れるから、わがままなことは全く悪いと思っていない。

むしろわがままが許されるくらい、才能があっていいなあと思っている。そのわがままさが才能の高さを証明しているとすら思ってしまう。

 

そこで疑問に思ったのは、才能が先なのか、わがままが先なのか、ということ。

 才能がある人はわがままでも許されるから、才能のある人はわがままなことが多い、と考えるのが自然かもしれない。(才能→わがまま)

でも、わがままに生きたことによって才能が開花した、なんてこともあるのでは?(わがまま→才能)

 

逆に言うと、わがままに生きていないと、

自分のやりたいことではなくてやらないといけないことをやっていると、ある才能もなくなっていくんじゃないかと思っている。

 

そうやって持ち得ていたかもしれない才能をつぶしていることって意外とあるんじゃなかろーか。

 

でも才能があるのにわがままじゃない人もいるけどね。

マイケルジャクソンとか。(いきなり大物。)

でもわがままじゃないけど、言いたいこと言ってんなとは思う。(まだマイケルジャクソンの話。)

 

話がそれましたが、わがままで才能のある人に憧れるし、

わがままじゃなくて才能をつぶしているのはもったいないし、

自分には才能という才能はないかもしれないけど、もうちょっとわがままにリスクを取って生きようかなとおもったりおもわなかったり

 

 

怒られてすぐに傷つく若者がいけないの?

タイトルには若者とつけたけど、怒られてすぐに傷つく自分がいけないの?と言いたいところです。

 

褒めて伸びるタイプと、怒られて反省して良くなるタイプがある。って本当ですか。

 

ただ良いところを羅列するだけじゃ天狗になって悪いところに気付かないだろうし、

逆にただ悪いところを指摘するだけではやる気なくなっていくと思う。

 

最近の若い人はちょっと怒っただけですぐ辞めちゃうからとかたまに聞きます。

でも、それってその「若い人」のせいなの?

怒ってるだけで、その人のいいところを何にも言ってあげてなかったら、やる気なんかなくなるさ。

指導する側からしたら、悪いところの方が目に付きやすいのかもしれないけど、だからって悪いところだけを指摘していたら、その人は自分は無能なんだと思うかも。

もしくは、この人は自分のことを何にも認めてくれていないんだと思うかも。特に、実はちゃんと努力している人ならなおさら。自分のことをどこも見てくれていないんだ、と。

自分が指導される側に置かれると、自分が怒られる側に置かれると、そんなことに気がついてくる。

怒られるだけ、悪いところを指摘されるだけじゃ、なんのやる気もでないな、と。しかも誰も自分の努力なんて気にしてないんだ、とも思えてくる。

 

自分が指導する側になるときは、どうしても相手の悪いところが見えてきやすい。だって自分はそれがもともと得意で教える立場になっているわけだから、どうしたって相手の方が力は劣っているのだから。

でも、悪いところに隠れてなかなか見えない良いところをちゃんと探して言ってあげなきゃいけないんだと思う。そうじゃないと、自分がそうであるように、どんどんやる気なくなっていくし。

 

一方的に怒ることしかできない指導者は、自分が指導されていたときのことを忘れているのかな。それとも、自分が一方的に怒られているから、ほかの人にも同じことをしてストレスを発散したかったりして。

 

反面教師。

大使館に門前払いにあった話。(≒私が非常識な話。)

ある国の大使館に行ったら、インターホンで門前払いにあった。

ぴんぽーん

『今日はどういったご用件でしょうか?』

「あ、予約はしてないのですが、大使館に入ることはできますか?」

『どういった用件で入るのですか?』

「大使館に興味があって...」

『興味?どんな興味ですか?』

「あ、すいません、なんとなくなんですが、ちゃんとした興味がないと入れないもんなんですね、すみませんでした、帰ります(早口)」

『そうですね、詳細な用件がないと入れません、失礼します。』

 

知らなかった〜〜〜。大使館て気軽に見学できちゃうもんだと思ってた〜〜〜〜。

 

インターホンに出た人、終始、「は?なにこいつ?」ていう感じの雰囲気醸し出してたし。

すごく好きな国だったけど、その大使館の冷たさで少し気持ちが冷めてしまった。

100億%自分のせいだが。

 

そのあとは、普段なら絶対食べないクレープを食べ、帰路に着いた。

 

東京に20数年住んで初めて気づいたこと。

(大袈裟なタイトルをつけた。)

 

東京って意外といいところかもしれない。

京橋から赤坂見附まで一時間ほど歩いていて、ふとそう思った。

 

歴史と、自然と、今がミックスされているところがいい。

桜田門の横を、車がビュンビュン走っていく。

皇居の周りのお濠。紅葉した銀杏並木。そのすぐ横にはビジネス街のビル群。

 

古いものをそのまま残そうとするヨーロッパとは対照的に、東京は古いものに容赦なく新しいものを加えているような気がする。

わたしはそんな東京のあり方を今までネガティブにとらえていた。

なんでせっかくの歴史的建造物の美観を汚すんだ。

自然を楽しみたいんだから、車なんか走らせないでくれ、と。

 

でも、そんな思いが今日少し変わった。

ビルとお濠、なかなかいいんじゃないかなあと。

ビルが自然、歴史建造物と調和することもあるんだ。

お濠の水面に銀杏並木とともに映る、東京のビル群は、いつもとは違って見えた。

 

東京は小さいのに広いところだと思った。

わたしの頭の中にある東京はすごく小さかったのだと気づいた。それでも十分いろんなところがあると思っていたけれど。

新橋、赤坂、銀座あたりもまだまだ行きたいね。

 

 

 

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