わがままなひと。才能のあるひと。

最近、才能があるひとはわがままだなあと思うことが多い。

そして自分はそのわがままさと才能に憧れるから、わがままなことは全く悪いと思っていない。

むしろわがままが許されるくらい、才能があっていいなあと思っている。そのわがままさが才能の高さを証明しているとすら思ってしまう。

 

そこで疑問に思ったのは、才能が先なのか、わがままが先なのか、ということ。

 才能がある人はわがままでも許されるから、才能のある人はわがままなことが多い、と考えるのが自然かもしれない。(才能→わがまま)

でも、わがままに生きたことによって才能が開花した、なんてこともあるのでは?(わがまま→才能)

 

逆に言うと、わがままに生きていないと、

自分のやりたいことではなくてやらないといけないことをやっていると、ある才能もなくなっていくんじゃないかと思っている。

 

そうやって持ち得ていたかもしれない才能をつぶしていることって意外とあるんじゃなかろーか。

 

でも才能があるのにわがままじゃない人もいるけどね。

マイケルジャクソンとか。(いきなり大物。)

でもわがままじゃないけど、言いたいこと言ってんなとは思う。(まだマイケルジャクソンの話。)

 

話がそれましたが、わがままで才能のある人に憧れるし、

わがままじゃなくて才能をつぶしているのはもったいないし、

自分には才能という才能はないかもしれないけど、もうちょっとわがままにリスクを取って生きようかなとおもったりおもわなかったり